神様の悪戯





清々しい朝を迎えた。今朝の日差しはひどく柔らかい。
今日一日、きっと穏やかに過ぎゆくことだろう…とじじむさいことを考えてい るユイ(12歳)の期待は簡単に裏切られた。
「…ぅわーーーーーーーっ!!!!!」
デュオの大きな声が聞こえて、それからすぐに何もなかったかのように静けさ が戻る。
「…………………デュオ?」
デュオの声だろうか、今のは。
確か今日からデュオはあの[蒼い星]での任務があるはずだ。
そう口に出して言っていたわけではないが、最近は雰囲気で読めるのだ。
デュオ・マックスウェルの通常時の思考を読むのは容易い。
「……?」
しかし、何だか非常に何かが違っていた気がする。
この資源衛星の中に人間は二人きり。
あの声を発したのが自分でなければ、残りはデュオしかいないのだ。
少々不安になったユイは急ぎ足でデュオの寝室へと向かった。
ユイが朝イチで散水している中庭からそこまで3分。
「…デュオ、何があった!?」
ノックもそこそこに、ユイはガチャッと勢いをつけてドアを引いた。

そこには己の姿より二周りは軽く小さな体格の、髪の長い長い子供がいた。
呆然と。
デュオがいつも使っているベッドの上でへたりこみ静止している姿。
随分とミニチュア化してしまってはいるが、その姿は紛れもなく。
「…………………………デュオ?」
そう、デュオ・マックスウェルその人だった。



「……………………、デュ、オ?」
戸惑いつつもユイはその[小さなデュオ]の背に声を掛けた。
「…………………」
何分経っただろう。
デュオが漸く振り向き、ユイの姿をその視界に認めた。
「……………ユイー、」
へにゃ、と表情が崩れる。
ユイは慌ててデュオの傍に近付くと、自分もまた小さな身体ながらデュオを抱 きしめた。
「……デュオ、何があったんだ?」
「………わかんねぇよー、朝起きたらこんななってんだもんよー…。
 …大体、」
「デュオ?」
「…オマエよりちっちゃいってのは何なんだよー…」
変な処で妙なプライドを持っているのだ、デュオは。
しかしどうやら外見的な変化だけのようだ。
ユイはちょっと安心してデュオを抱く腕を緩め、その顔を覗き込んだ。
小さなデュオ。
今までの7年間、成長しないデュオの16歳の姿しか見たことのなかったユイ にはひどく新鮮である。
何より[自分より小さい]というのが嬉しい。
何故ならユイの第一の目標は、
【早く大きくなって、デュオを自分の腕で守ってやりたい】
というものなのだから。
「……………なーに笑ってんだユイ、」
高い声でありながらドスの利いた声。
「……すまない、デュオ」
デュオにもユイが嬉しそうな理由は薄々解っていたけれど。
自分が災難にあっているのに嬉しそうな顔をされると悔しいのはデュオでなく ともごく当たり前なことかもしれない。



「………それにしても」
「…あんだよ」
ユイがデュオの姿をまじまじと見て、じーっと見て、それから首を傾げた。
「…また、随分と可愛らしい姿になったものだな」
「…………………るせーよ、ユイ」
こんなに可愛らしい外見になったというのに、中身は元のままらしい。
「何か、原因は分かるのか?」
「…さっぱり、わかんねーな。
 オレの身体、一体どーなってんだろ…成長しなかったり縮んだり…うー…」
そんなこと、自分に聞かれたってわからない。
ユイはそう言おうと思いつつも、腕の中のデュオが途方に暮れている様子がわ かったのでついついまたきゅっと抱き締めてしまった。
デュオの身体は温かかった。
「どこか、具合の悪いところはあるか?」
「…うんにゃ、多分ヘーキ。痛くも気持ち悪くもねーわ」
デュオがふるふると頭を振って、その長い髪から微かにいい香りがする。
「デュオ、立ってみてくれるか?」
「ナニ?」
すくっ、とデュオが立ち上がる。
デュオの髪は、デュオの膝裏を隠してしまうほどに長かった。
着ていたパジャマの上下とシャツもパンツもぶかぶかだ。
「……っ!!」
デュオは慌てたようにベッド上にしゃがみ込んだ。
「………ユイ、オマエの昔の服貸せ」
「…わかった」
ユイは名残惜しそうにデュオから離れると、着替えを取りに部屋を出た。

しかし、もう着れなくなった服がしまってあるとは物持ちのいいことだ。
ユイとデュオ、どちらが貧乏性なのだろうか。



ぱたぱたという足音がして、ユイが着替えを持って部屋に戻ってきた。
「……デュオ、」
流石にあまり数は残っていなくて、けれどデュオが着ても支障の無いような物 をなるべく選んでくる。
戻ってくるとデュオがベッドの上で自分の長い髪と格闘していた。
「…うーーーーーっ…」
今のデュオの小さな身体にはこの髪は長すぎるのだ。
手どころか身体全体が縮んでしまっているので上手く三つ編みが編めない。
編もうとすればするほど変な風に絡まっていく。
入口で呆気にとられていたユイがはっと気付いたようにデュオのそばに寄る。
「デュオ、駄目だ手を離せ」
「…………ユイ、ハサミ持ってこい」
「…駄目だ。…おれが直してやるから…落ち着け」
ぽて、とデュオの手から力が抜けがくりと頭も垂れる。
「………もーやだ…めんどくせぇ」
さっきは興奮していたからか元気だったのが、今はもうへにょへにょだ。
ユイは手櫛でデュオの髪を軽く梳いてやり、それからデュオの枕元にあった普 通の櫛でもう一度綺麗に梳いてやった。
そしててきぱきと三つ編みを始める。
デュオは今まで髪を触らせてはくれなかったから、ユイがこうしてその髪を編 むのは多分初めてのはずなのに随分と手際がよい。
もしかしたらユイはこっそり練習をしていたのかもしれない。
「…できた」
ユイは櫛と同じく枕元にあったゴムでデュオの髪を括った。
そしてまだ項垂れたままのデュオの顔を横から覗き込む。
「少しは落ち着いたか、デュオ」
「…………………これじゃーオレ…ただの役立たずじゃん…」
ぽつりと、デュオが呟く。
ユイは思わずその頭を撫でていた。
子供扱いするな、と言われるかと思ったのにデュオは俯いたままだった。



「……デュオ、どうしてそんなに卑屈なんだ。デュオらしくもない」
「だって、」
デュオが言いよどむ。
「…だって、こんなじゃ、…何も…できないじゃんかよ」
「何も、って? 食事の用意だって洗濯だって、おれがしているし、」
ユイは[その原因]に思い当たって、少々皮肉げにデュオに告げた。
「……出掛け、られなくなったからそういうことを言うのか?」
「………ユイ、」
ばつの悪そうな表情でデュオが一瞬顔を上げユイを見て、そしてまたすぐに目 を伏せた。
「…知ってたんだ、オマエ。…オレが今日出掛けるって」
「…あぁ、知っていた。でも、止めなかっただろう?」
知っていても止めない。
そうだ、デュオのやることには必ず何らかの確たる理由がある。
止めない。
それが、デュオの決めた[自らへの約束事]なら。
自分には止める権利がないのだ。
「………そうだな、オマエ何もかも知ってそうだもんな」
デュオは自嘲気味に笑うと、ユイの手から着替えを奪い取った。
「…出てけよ、着替えんだから」
「……わかった、…デュオ」
「ナニ」
「今日は、一緒に…。…あぁ、後で言う。…すぐに朝食を作るから」
ユイはひどく切なそうな表情をデュオに向けて、静かにベッドから降りると部 屋を後にした。
デュオは胸にちくんとした痛みを覚える。
「…ごめんな、ユイが悪いワケじゃねぇのにな…」
それを聞くべき相手の耳には届くことのない、謝罪だった。



ユイが準備したデュオの服はごくありきたりな白い綿のシャツと短パン。
シャツも短パンも長さ的には七分丈。
ちょっと大きめでぶかぶかしているが、ユイがこれを持ってきた以上はこれよ り小さい物がないのだということを意味している。
ユイのやることにはちゃんと色々説明が付くのだ。
デュオは小さくなった身体で、多少時間が掛かりつつも服を着替えた。
ボタンを留めるのがこんなに難しいことだとは思わなかった。
(…………くそ、)
血の気が引いたかのように指先が冷えてしまって、動きが鈍い。
普段の二倍近い時間を掛けてようやく服を着替え終えると、ベッドからそろり と降りた。
いつもの調子で降りてしまったら間違いなく、転ぶ。
当然のように靴もぶかぶかなので裸足でぺたぺたと歩く。
それは結構気持ちよかった。
床が足の裏に吸い付くような感じがした。
(……忘れてたかもな、こんな感触)
デュオはそれで少し気分が軽くなったのか、ドアを開けて廊下に出た。
そしてユイの待つ食堂に向かった。



ぺたぺたぺたぺた。
廊下はつるつると冷たくて、デュオの足の裏はみるみる冷えていく。
失敗だ。
(ユイに靴も持ってきてもらえば良かったかな…)
しかし流石に7年も前の靴はもう駄目だろう。履けるわけがない。
そういえば捨ててしまった気がする。
服だって、残っていること自体が不思議なのに。…何故だろう。
…ぺた。
食堂の前でデュオは歩を止めた。
気まずい。
ユイは怒ってはいないだろうけど、自分はさっきユイを傷つけてしまった。
どうしよう。
どう、したらいいんだろう。
「……デュオ?」
ドアの外の気配がしたか、はたまたデュオの足音の所為か、食堂の中からユイ の声が掛かった。
デュオは身体をびくりとさせた。
ドアが廊下側に開いてくる。ぴょこ、とユイが顔をのぞかせた。
「どうして、入ってこないんだ?」
「…別にー。…お、いーにおいじゃん。焼いた卵の匂い、好きだなオレ」
デュオはそう言いながら、自然と笑みが浮かぶ自分に気付いていた。
これはきっとデュオの好きな卵料理だ。自分がユイに教えてやったのだ。
「……へへ、」
ユイの気持ちが嬉しい。
ユイが、愛しい。
優しく育った、子供。
「…待ってろ、もう少しで出来上がるから」
ユイはそんなデュオを不思議そうに、でも微笑んでくれるデュオがとても綺麗 で(この場合は「可愛い」だろうか)自分も微笑んだ。



デュオはユイの横をすり抜けるように食堂へと入ると、いつも自分が食べてい る椅子にうんせと勢いをつけてよじ登った。
何だかとても食べ辛そうだ。
ぺたんと椅子に尻をつけると、顔はかろうじてテーブルの上に出るが、とても じゃないがまともな食事方法が出来るとは思えなかった。
予想はしていたとはいえ、これは結構ショックだった。
けれど仕方がないのでデュオはふー、と息を吐くと今度はそろりと椅子から降 りた。
…そうだ、仕方がないのだ。卑屈になっても。
「ユイ、悪ィけど応接セットのある部屋に行ってるわオレ。
 用意できたら持ってきてー、」
「わかった、」
デュオが入ってきて安心して食事の用意を再開したユイが、コンロに向かいな がら、顔だけをデュオの方に向けて了解を示した。
デュオは食堂から出て行きがけにユイに言った。
「あのさーユイ、足冷たいんだけどさ。…スリッパ作ってくんない?」
「…あ、そうだな気が付かなかった。後で作ってみる」
「さーんきゅっ、愛してるよんユイちゃーんvvv」
顔を見せないように。
後ろ姿のまま。
照れくさくて。
でも言いたくて。
言ってすぐに、ぱたん、ドアを後ろ手に閉める。
ドアの向こうのユイがどんな表情をしているのかが容易に想像が付いて。
デュオはあははと笑いながら応接セットのある部屋に向かった。
ぺたぺたという足音がデュオの後をついてくる。
…さっきより廊下は冷たくないような気がした。



応接セットのソファ。
とても柔らかくて、座るとずぶずぶと身体が沈んでしまう。
「……ふにゃー…気持ちイイ…」
このまま眠ってしまおうか。そしたらユイが起こしてくれる。
別にもうずっとこのまんまでもいい。姿なんてどうだって。
もう自分は、自分たちの存在は必要が無くなったのだ。
ヒイロだって。
ヒイロだって本当はあのまま眠らせてやった方が良かったのだろうに。
[ヒイロ]が[ユイ]として還って来てくれたことは嬉しかったけれど。
既に自分にとって[ユイ]はかけがえのない存在になっているけれど。
…でも。
これは、ひどいエゴイズムかもしれない。
[ユイ]はデュオ・マックスウェルの為だけに存在している。
自分だけの[ヒイロ・ユイ]に成る為に。

あぁ、好きだったよ、オレは。
ヒイロがどう思ってたかなんて、知らない。知らなくて良かった。
今だってオレは[ユイ]を[ヒイロ]としては見ていない。
だからこれは【恋愛】じゃない、【償い】なのだ。
オレにとって[ユイ]を[ヒイロ・ユイ]に育てる上げることは。

「………オ、…デュオ眠ってしまったのか?」
ユイの声が聞こえる。
眠ってしまっていたのだろうか。
これは現実。
「……ユイ、」
「何だ、デュオ?」



ユイが、首を傾げてデュオの目を見つめる。
目が、視線が絡まり合って、離すことが出来ない。
「………なぁユイ、」
デュオは言いながらユイの頬に手を伸ばす。
むにむに。力を入れず、つねってみる。
「…………デュオ??」(いや、こうは聞こえなかったかもしれない)
「ユイはさ、…いいか? このまんまで」
デュオが何に対してそう言っているのか掴めず、ユイは更に首を傾げた。
「…デュオの姿にか? …それとも、この生活にか?」
「両方。………あー、やっぱいーや答えなくて。
 わかってんだもんオマエの回答なんてわかりすぎるくれーにさ」
ぺ、とユイの頬を摘んでいた指を離し、デュオは瞳を閉じた。
それはまるでふてくされた子供そのままの仕草で。
「……デュオ、何をそんなに苛ついているんだ?」
「…何でもねーよ、…腹減った、メシ出来たんだろ? 食おうぜ」
「デュオ」
少しキツい調子でユイがデュオの動きにストップを掛ける。
「デュオは、おれに何て答えて欲しいんだ?
 おれが言いたいことは勿論ある。それは想像がつくと言ったな?
 でも、デュオが聞きたいことはそれと違うんだろう?」
「……わかんねーならわかんねーでいいんだよ。
 オレ今ちょっとおかしいんだよ、あんまマトモに相手しなくていーって」
「…じゃあ、」
ユイが一旦言葉を切る。
「じゃあ、そんな…泣きそうな顔を…しないでくれ」
ユイは、自分も泣きそうな顔をしているのに気が付いているだろうか。



「…………泣かねぇよ、泣くわけないじゃん」
くしゃり、とデュオはユイの頭を撫でる。
小さな手。柔らかな髪の感触。ユイの表情。
いつもとは何もかもは同じじゃない。違う、こんなこと考えたいんじゃない。
泣かせたくない。泣きたくなんてない。
「……ごめんな、何でもないんだ。何言ってるか、自分でもわかんねぇけど」
「…デュオ」
ユイの腕が拡げられて、あぁ、抱き締めたいのだと気が付いて。
そしておとなしく身を預ける。
こんな、抱き締められるという感触は一体どれだけ振りだろう。
幼かった頃、こうして抱き締められたことがあった。
温かい腕。柔らかい腕。
愛しく思われているのがわかって、泣きたくなる。
けれど泣かない。泣けない。
「……ユイ、」
幼くなった自分の腕を懸命に伸ばす。
ユイが、泣かないように。
「ごめんな、ユイ。ありがとな」
何に謝り、何に感謝をするのだろう。
ユイの腕。
向けられた想い。
「…デュオ」
ユイの、自分を呼ぶ声が。
聞こえているのに、意識が遠くなってゆく。
このまま。腕の中に抱かれたまま。
眠って、目を醒まさなくいられたら、いいのに。



そのまま。
ユイに抱き締められたまま。
子供の温かい体温に引き込まれるように。
柔らかなソファに沈み込んで。
2人で。
ゆっくりと眠り入ってゆく。





「…………ん…っ」
どれだけの時間が経っただろう。
デュオはぱちっと目を開いた。
「…んー、何だコレ……ユイ?」
ソファの上。2人は抱き合ったまま眠ってしまっていたようだ。
「寝心地の良すぎるソファってのも考えもんだな…。…おい、ユイ」
ユイの肩に手を掛けて起こそうとする。
「あ、っ…」
…いつもの、見慣れた自分の手だ。
「……デュオ…?」
眠そうなユイがデュオを見上げて、何だかホッとしたような微笑を浮かべた。
「元に、戻ったんだな」
「ま、そーみてぇだな。…やっぱこっちの方がいいか? ユイ」
「どちらでもいい。…デュオなら、デュオがデュオでいてくれたらいいんだ」
「……オマエ、相変わらずだなー…。ま、可愛いから許す!」
そう言って、デュオがユイの頬にキスを一つ。


…それから。
ずいぶん経ってからユイが思ったこと。それは。
あの出来事は、神様の悪戯だったのかもしれない、ということだった。
                                END





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