5P。(仮題)←…。






…確かに最初っから出来過ぎた話だとは思ってたんだ。
デュオはぼやいた。

  [住み込み家政婦募集]

そう書いた張り紙がデュオの目に止まったのは本当に偶然だった。
(見なきゃ良かった、あんなもの)
しかし見てしまったものは仕方がない。
割と上質そうな紙に刷られたそれは、延々と続く薄いクリーム色の塀に張られていた。
それを見付けたのはデュオがバイトで犬の散歩をさせていた時だった。
デュオは17歳。
孤児院の出で、15で義務教育を終えた後に自立した。
探せば結構色んな仕事があるもので、デュオは生活に困らない程度にはやっていけていた。
ただ、院を出てからすぐに居着いたアパートがこの度改築するのだそうで、一時退去を余儀なくされたばかりだったのだ。
住む場所探さなきゃなー、とぼんやり頭の隅で考えていたものだから、どうしても目に付いたその張り紙が気になってしょうがなかった。
犬を繋いだ引き綱を持ちながらデュオはその前で張り紙を眺めた。
その紙には他に、
・男女問わず。
・委細面談。
・仕事は雇い主の話し相手と身の回りの世話のみ。
と書いてあった。
要するに家事などをする必要はなく、主人の世話だけということだから[小間使い]みたいなものかと思われた。
「……んー、住み込みってトコに惹かれるなーやっぱ。
 面接受けるだけは受けてみよっかな」
そう考えて、デュオはその張り紙に書いてあった電話番号をメモった。

それが全ての発端だった。







デュオは散歩をさせ終えた犬を飼い主の処へ届け、日払いの報酬を受け取ると軽い足取りでアパートへと帰った。
物の少ないデュオの部屋には、それでも一応電話がある。
あまり掛けることのない電話だが、デュオのは専らバイトを受けるためにあったりする。
デュオはここらの便利屋として有名だ。
近所のおばさんやおねーさんと仲が良いので、ちょっとした電化製品の故障などがあればすぐに電話が掛かってくる。
デュオとしても暇を見てちょちょいと直して小遣い銭稼ぎをしていたので、ある意味生活必需品なのであった。
デュオは件のメモ用紙を取り出してじっと見つめる。
「んーーーーー、」
この場合、果たして『善は急げ』になるだろうか。
デュオは受話器を取り上げて耳に充てた。
電話を『掛ける』ことに慣れていなくてちょっとドキドキする。
「………よーし、」
こんなことで戸惑っている場合じゃない。
デュオは息を一つ吸って、メモの通りの順に番号ボタンを押し始めた。
Trrrrrr……、
3回ほど呼び出し音が鳴って、それから受話器が取られる。
『はい、どちら様でしょうか』
相手は若い男だった。低めの声で、デュオの耳に心地よく響く。
デュオは何故かひどくどぎまぎして、焦ったように用件を告げた。
「…あ、あのっ、[家政婦募集]のチラシ見て電話したんですけどっ」
自分でも何を言っているか判らないうちに、面接の日取りが明日ということだけは決まったらしく、気付いたらデュオは受話器を戻していた。
「……明日、朝11時から、面接」
それだけ繰り返して、手の中でぐちゃぐちゃに握りしめていた紙に書き入れて、冷蔵庫のドアにマグネットで止めた。









翌朝11時に少し前、デュオはその邸宅の玄関前に立っていた。
立派な門構えで、格子の隙間から見える敷地には豪奢な屋敷が建ち、広い庭はよく手入れされていて色とりどりの花が咲き誇っている。
「わー…すげぇウチだなこりゃー」
自分は客ではないのだし、面接に来ただけなのだから気後れする必要は全くないと判りつつも。
デュオは玄関のベルを押すのに躊躇っていた。
「………うーーー、裏口とか、ないんかなぁ…」
かなり後ろ向きな発言である。
もうじきに面接時間になろうというのにデュオは塀を伝って裏口を探す為に歩き出した。
そこに、小さな子供の声が掛かった。
「おい、」
「え?」
デュオは頭上から降ってきたその声に顔を上げた。
塀の上に子供が腰掛けてデュオを見下ろしている。
白い上等のシャツを着て、紺色の短パンをはいた濃い色の髪の子供だ。
「おまえ、面接に来たやつだろう? 何故玄関から入らない?」
子供はぼーっと見上げているデュオの隣にとん、と着地した。
「…誰? オマエここんちの子か?」
デュオが首を傾げる。
子供は大きな蒼色の瞳でデュオの顔をじっと見つめた。
「……おまえなら多分、合格だ。一人が嫌なら一緒に入ってやる」
「え? …えぇっ!?」
デュオは訳が分からない。
玄関は既に開いていたらしく、子供が手を掛けるとキィ…と音を立てて内側に開いた。
すたすたと歩く子供の後をデュオは手を引かれて歩いていった。






門から玄関まではがまたひどく遠かった。
けれどデュオの手を引いて歩いていく子供はすたすたと速度を変えず、デュオの息が少し上がった頃ようやくと玄関ドアに辿り着いた。
どっしりとした重みのある厚いドアだ。
ヒンヤリとしたそのドアに背を凭れ、デュオは今気付いたかのように問い掛けた。
「…そーいや、オマエ、名前は?」
もしかしたら雇い主になるかもしれないココの主人の子供(想定)に聞くには結構ぞんざいな問いだ。
デュオの手をまだ握ったまま子供はデュオの顔を再び見上げた。
「おまえも名前を言っていないだろう。
 人に尋ねるときはまず自分から名乗るべきだろうが」
子供らしからぬ語り口にデュオはむっとしつつも、言われていることが正しいばかりに子供の言うことを聞いてしまうカタチになった。
「……デュオだ。デュオ・マックスウェル。
 さ、これでいいだろ。…オマエは?」
子供は口端を上げてにやりと笑うと、返事をしないまま玄関ドアに手を掛けた。
「デュオ、おまえが正式に雇われることが決まってから教えてやる。
 …さ、もう時間だろう? 面接の場所は応接間…こっちだ」
随分な言い草にデュオが何か言いかけたとき、ドアが開いた。
「……すげぇ……、」
「デュオ、こっちだ」
デュオが内部の様子に感嘆するのを聞いて、子供はくすりと笑いながら先程と同じようにまたその手を引く。
玄関からほど近い部屋の扉をノックする。
「…どうぞ」
デュオが電話で聞いた声よりも更に低い声が聞こえて、子供がその扉を開けた。



応接室のソファに20代後半と見える青年が座っていた。
「お電話いただいたデュオ・マックスウェルさんですね…どうぞ」
勧められるまま、デュオは硝子テーブルを挟んだ向かい側に腰掛けた。
そしてデュオの隣に子供がちょこんと座る。
「部屋に行っていなさい」
青年が言う。よく見ると青年の顔は子供がそのまま大きくなったような造りをしていた。
「別に、構わないだろう? どうせ雇うんだから」
「…………好きにしろ。…すまない、生意気な盛りの子供でね」
青年はほんの少し眉を顰め、けれどいつものことなのかデュオに苦笑してみせると自己紹介を始めた。
「私はヒイロ・ユイ、ここの世帯主だ。
 張り紙を見ていただいてわかっているだろうが、ここでの君の仕事は我々家族の話し相手と身の回りの細々した世話だ。
 料理や掃除、その他の仕事には使用人がいるから必要ない。
 住み込みで来てもらって、後は月々の小遣い程度の手当だが、引き受けてもらえるだろうか」
「…えと、そんなことでいいんですか?」
 デュオが使い慣れない丁寧語で何とか話そうとしているのを見て青年は笑った。
「あぁ、この家の人間は人見知りのする方でね、話し相手がいるということだけでだいぶ気が楽になるだろうと思うんだ」
「は…はい、わかりました。オレ…私で良ければお引き受けします」
何故だかこの青年に見つめられると赤面してしまうデュオだった。
「ありがとう。家の人間には君がここに荷物を運んで来てから夕食時にでも挨拶させることにしよう。…それから、」
「はい?」
「ここで働く上で敬語は不要だ。肩が凝って仕方がない。
 それだけ了承してくれると嬉しいが…デュオ?」
デュオは首を傾げながらもヒイロ・ユイに向かって微笑んだ。
「わかった。これからよろしく」
子供は黙ってその二人の様子をじっと見ていた。



子供と一緒に応接間を出て、デュオは一つ大きく息を吐いた。
あれでも一応デュオなりに緊張していたのだ。
「言ったとおり、合格だっただろう?」
「そーだな、オレの何がお気に召したんだかは謎だけど。
 オマエもオレなんかでいーの? 話相手とか身の回りの世話って」
子供はデュオにひどく大人びた感じで笑ってみせた。
「この家の人間は全員趣味が一緒なんだ。
 俺が気に入らなかったらその場で帰らせてる。
 あいつに面接させたということは、そういうことだ」
何が「そういうこと」なのだろうか。
「え? 良くわかんねぇけど…オマエはオレを気に入ったってこと?」
「そうだ、デュオ。俺は、おまえが気に入った」
その、どこか含みのある言い方にデュオは気付かなかった。
「そか、サンキュ。少し気が楽になった」
デュオは子供の頭をくしゃりと撫でる。
「あ。そういやあの人はオマエとどんな関係?」
「…俺の父親だ。俺は10歳で、あいつが17歳の時の子供なんだ」
「へえ。でも親のことをあいつって言うのは良くないぜ」
「……………」
子供はそれに対して答えなかった。
「…荷物は、どうする?」
「ん? あぁ、あんまないから一人で持って来れる。
 家具とかは備え付けだったから服とか雑貨が少しだけなんだ」
「じゃあ、俺も行って手伝ってやる」
有無を言わせない様子で子供が言うのに、デュオはただ頷くしかなかった。
デュオが(やけに気に入られたもんだな)と思ったことを追記しておく。











デュオの住むアパートは築30年の建物で、なるほどそろそろ改築するのも道理かな、というほどガタがきていた。
デュオと子供は徒歩でここまで来た。
このアパートの前まで来るのに何人の人間に声を掛けられただろう。
しかもその殆どが女性。
ほんの小さな幼女から腰が曲がり杖をついた老女まで。
そしてデュオはその一人一人ににこやかに返事を返している。
ヒイロ・ユイ宅を出てからデュオが語った生い立ちや今の生活ぶり。
なるほどデュオはここらのアイドルだったのだなと子供は納得。
容姿もさることながら、この人柄の良さではデュオを気に入る人間がたくさんいても当然だろう。
アパートの階段を上ろうとして、一階の一つのドアが開いた。
「…あ、大家さん。後で挨拶に行こうと思ってたんだ。
 オレ明日っから住み込みで働くんだ。だから荷物取りに来た」
「へぇそうかい、次の先が決まって良かった。
 …おや、その子供は?」
「オレの雇い先の主人の子供ー。
 荷物運ぶの手伝ってくれるっていうからさ、」
そう言えば子供の名前を未だ聞いていない。
「ヒイロ・ユイです、」
子供――ヒイロは如才ない様子でそう言って大家に会釈した。
大家のおばさんは思い当たった風に手をぽんと叩いた。
「ああ、あそこのお屋敷の子供だね。
 いいとこに決まって良かったじゃないか、デュオ」
「…え、あぁ…うん。じゃ、」
デュオは曖昧に大家に笑ってみせると、子供の手を引いて二階に上がった。
部屋のドアに鍵を差し込み、カチャリと開ける。
ヒイロを中に入れてからデュオは後ろ手にドアを閉めた。
「どうした、デュオ」
「……何で名前が一緒なんだ?」
「そんなに気にするほどのことか?
 俺はあの家の当主の長男だ。名を継いでもおかしくないだろう?」
「そー言われりゃー、ま、そうかもしんないけど。
 何かヤな予感がするんだよなあ…」
「気にするな。……どの荷物を運ぶんだ?」
デュオはヒイロの声に、首を振って悪い想像を振り払った。

デュオの部屋は確かに物が少なかった。
その少ない私物をてきぱきと要・不要品とを分け荷造りしていく。
ヒイロはそんなデュオの様子をどこか楽しげに見ていた。
そしてあっという間に整理がついた。
デュオの言ったとおり家具は備え付けであったし、衣類の数もそう多くなかったのでデュオの荷物は大きめの鞄一つと紙袋二つに収まった。
残った物は少々の分別済みのゴミだ。
「…本当に少なかったな荷物」
ヒイロが言う。
「んー、まあな。家賃と食費が大きな比重を占めてたもんでねー。
 モノがないからって貯金があるわけじゃねえのが辛いよな」
…と、いうことはデュオはよく食べるらしい。
この細身の姿からはちょっと想像がつかなかったりするが。
「どれを持てばいい?」
「あ、そっちの紙袋ならどっちでもいーぜ。
 服しか入ってないから軽いはずだしな、」
「じゃあ両方持つ」
ひょい、とヒイロが片手に一つずつ軽々と持ち上げた。
「…っ、おいヒイロっ…」
「…何だ?」
振り返ったヒイロの顔はあまりに飄々としている。
「いやなんでもねえよ。…サンキュ」
「おかしなやつだな…。さ、行くぞデュオ」

デュオは大家のおばさんに挨拶をして、今日がゴミの収集日でないため先程のゴミの処分を頼んだ。
それからヒイロと一緒に自分の新しい住処となるヒイロ・ユイ宅へと向かったのだった。











ヒイロとデュオは屋敷に着いた。
出掛けるときと同じ大きな扉を開けるとそこにはメイド服を着た年若い少女が待ちかまえるように立っていた。
「おかえりなさいませヒイロ様、デュオ様。
 デュオ様のお部屋は二階の奥にご用意いたしました。
 どうぞついていらして下さいませ」
にこやかに笑み手を差し伸べた少女をデュオは呆然と見つめた。
そしてデュオはヒイロを当惑げに振り返る。
「…………ヒイロ? 誰?」
「うちの女中だ。名前は瑠璃という。…他にも2人いるんだが。
 まだ新米ばかりでな、至らないところが多いんだが」
「まあ、ひどいですわヒイロ様。
 瑠璃はここに来てもう2年も経ちますのよ」
「そうか? ヤツから色々楽しいネタを聞いているぞ」
瑠璃と呼ばれた少女が頬をぷぅっと膨らませた。大層可愛らしい。
それよりも、ヤツとは一体誰のことだろう。
「ああ、言い忘れたな。
 瑠璃たち3人はおまえを雇うまで一応俺たちの小間使いだったんだ」
「……「たち」? …じゃあ今はもう違うのか?」
「おまえには瑠璃たちとは違う役割をしてもらうつもりだが…焦るな、夕食の時に紹介する。瑠璃、デュオの準備は任せたぞ」
「はい、わかりました。腕によりをかけますわ」
にっこりと瑠璃は微笑むと、デュオの手を引いて2階へと向かった。
ヒイロもその後ろにつき、紙袋二つをデュオの部屋に決まった部屋の前に置くと、自室に帰った。



瑠璃はデュオと共に二階の奥の一室に入ると、くすくす笑い出した。
「ヒイロ様たちの趣味ってとてもわかりやすいですわ、」
「……る、瑠璃…ちゃん?」
「瑠璃でいいですわデュオ様。デュオ様の役割はどちらかというと私共と違って旦那様たち寄りですから」
「??」
「今にわかります。……さて、それでは…っと、」
ここに来るまでヒイロと瑠璃の言動が気になって仕方がなかったのが、デュオはようやく落ち着いて周りを見ることが出来た。
「…………すげえ、」
驚いたのはまずこの部屋の広さだ。16畳以上はあるだろう。
そして部屋の奥にはキングサイズのベッド。
調度品も結構な物で、デュオは何故自分がこのような部屋をあてがわれたのかわからない。
瑠璃が今ごそごそやっているのは大きなクロゼットで、その中に服がたくさん詰まっているのがデュオの目から見ても明らかだった。
「……なあ、瑠璃、」
「…何ですか、デュオ様」
「何か、想像してたのと…色々、違うんだけどオレ」
「そうですか? …そうですね、この家は少ーし変わっていますから。
 でも働く環境としてはとてもいい場所ですよ。
 おうちの方は皆さんとても素敵でいい方たちだし、お給料もいいし」
「……そんなことじゃ…なくてさー…」
どうして、ただの[雇い人]としての自分がここまでされるのだろう。
「すぐにわかりますわ、………ああ、これがいいわ、」
瑠璃がクロゼットの中から引っぱり出したもの。
それは。

目の醒めるようなマリンブルーのチャイナ服。
金糸銀糸で刺繍を施されたソレはまごうことなくチャイナ服だ。
チャイナドレスで無かっただけまだましなのかもしれない。
「……………え?」
服をまじまじと凝視して、それから瑠璃の顔を見た。
瑠璃はにこにこと笑っている。どうやら冗談や酔狂ではなさそうだ。
「さ、デュオ様、早くなさらないと夕食に間に合いませんわ。
 もしも遅れてしまっては瑠璃が怒られてしまいます」
「……う゛っ…」
そんな言い方をされてしまってはデュオは弱い。
ぱさ、と手渡されたソレは手触りからいっても超高級品で、驚くほど軽い生地で出来ているようだ。
「…だってこんなの…よっぽどスタイルいいやつじゃないと…」
自分はとてもじゃないが肉付きのいい方ではない。
しかも。
しかも何故こんな服を着て雇い人の家族と食事を共にするのだ?
雇われ人じゃなかったのかオレは?
デュオの頭の中はぐちゃぐちゃになってきている。
「デュオ様?」
はっと気付く。瑠璃が首を傾げていた。
「……わかった…着てみる…」
「まあ良かった。あ、デュオ様、そちらがバスルームになってます。
 汗を流してそれからお着替えになってくださいね。
 瑠璃はその間に他の準備をしておきますから」
デュオはすごすごと言われた扉を開ける。
確かにそこはバスルームだった。
………けれど…この広さは一体…。
いや、もう考えるまい。…デュオはぷるぷると首を振って中に入った。



脱衣所にはデュオの全身が映るような大きな鏡が設置されていた。
デュオはのろのろと服を脱ぐ。
住んでいたアパートにはバスが付いていなかったので、デュオは近所の銭湯を愛用していた。それが今となっては懐かしい。
これまた大きく重いガラス戸を引いてデュオは中に入る。
24時間風呂というヤツだろうか。
ジャグジーがついていて、クリーム色の湯船は大人3人くらい浸かっても余裕がありそうだ。
もういちいち驚く気にもならなくなった。
デュオは解いた髪をざぶざぶと洗い、タオルでごしごしと拭いてそれを頭上で纏めた。
それから新品のボディスポンジにソープを含ませざかざか泡立てる。
ぼーっとした頭でそれでも手を動かし泡だらけになった身体を流した。
とぷんと湯に浸かって、ようやく人心地がついた。
…ふー。
「……もー、何だっていーや…」
ぶくぶくと顔の下半分までを湯の中に沈め、デュオはなげやりに呟く。
「…どーせ…帰るトコだってねーし、」
しばらく浸かった後、デュオはざばっと立ち上がった。
決心したように湯船を出、脱衣所で大きな吸水性の良いバスタオルで身体を拭い、準備されていた下着とチャイナ服を身につけた。
不思議なことにそのチャイナ服はまるでデュオの為にあつらえたようにぴったりで、何とも言えず良く似合ったのだった。

バスルームから出ると瑠璃が待っていた。
「あら、やっぱりとてもお似合いですわ。
 それは旦那様がお見立てになったのです、デュオ様の瞳と同じ彩で」
「……あ、そーなんだ」
もうだいぶどうでもよくなっていたデュオだが、似合うと言われてはやはり嬉しくなってしまう。
そうか、これは大人の方のヒイロが選んだ物なのか。
「……………ちょっと待て、いつ買ったんだこれを」
「えっとですね、こちらにはお抱えのお針子がいるのです。
 デュオ様とヒイロ様が出ていかれた後すぐに作られたらしいですわ」
「………随分早い仕事だな、」
デュオは感心したように服の縫い目を見た。見事な縫製と刺繍だ。
「…あ、間違えましたわ。それはヒイロ様がお縫いになったのです」
「………………………え?」
謎の多い男だ…ヒイロ・ユイ(父)。


「……ヒイロが、縫った?」
「ええ、この家の方は皆様何でもお出来になるんです。
 あくまで趣味の範囲ならでは、ですけどね」
デュオが呆気にとられているのを、瑠璃は三面鏡の前に座らせ髪を纏めていたタオルを外した。
吸水性の良いそれは随分と水を吸い取っていたが、まだ濡れている。
瑠璃は新しいタオルを充て、再び水分を吸わせはじめた。
「…綺麗な長い髪」
「そうか? ま、これだけがオレの財産みたいなもんだからな」
鏡の中のデュオが微笑う。
「……デュオ様はこれからたくさんの価値あるものを手に入れることが出来ますわ」
「…えっ?」
「瑠璃の予言は良く当たるんです。…気を楽になさって下さいね」
「サンキュ、」
不安に思っている自分のための気遣いと知ってデュオは微笑んだ。
「デュオ様、じっとしていて下さいね、」
瑠璃は湿り気を帯びた髪を纏めはじめた。手際がよい。
デュオがそのテクニックに見とれているうちに綺麗に編み上げられた。
そして手足の爪に彩りを施して、小物でいくらかデュオを飾った。
「さ、これでばっちりですわ。時間も調度。
 食堂は階下に降りられて…」
そこまで瑠璃が言ったとき、コン、とノックの音がした。
「瑠璃、デュオの準備は出来たか?」
子供のヒイロの声だ。…このタイミングの良さは何だろう。
「はい、ヒイロ様」
瑠璃はデュオの手を取って立たせると、ドアの前まで連れていった。
カチャリ、と開いたドアの向こうに正装したヒイロが待っていた。
「………ははっ、あいつらしい選択だな」
デュオの姿を頭のてっぺんから爪先までを見たヒイロが可笑しそうに笑った。
「……?」
「さ、食堂へ行くぞ。瑠璃も御苦労だった」
「はい、」
今度はヒイロがデュオの手を引いて階段へと歩き出した。



手を引かれる、というよりは手を繋いでデュオとヒイロは階段をゆっくり降りていく。
デュオは自分の格好を思うと沈黙がいたたまれなくてつい話しかける。
「……なぁ、」
「何だ、デュオ」
「…オレ、何でこういうカッコさせられて、一緒に食事すんの?
 ただの家政婦みたいなもんで雇われたんじゃ…ねえの?」
ずっと考えていた不安を告げてみる。
「あぁ、…まあ、少しずつ知ることになるだろうが。
 どうした、嫌になったのか? …やめたくなったのか?」
「………別に、」
デュオは俯いた。
漠然とした不安が胸の裡にある。
「おまえ次第だ、デュオ。
 おまえ次第でここでの生活の善し悪しが変わってくる」
「………?」
「少なくとも俺はデュオにここにいて欲しいと思っているがな」
「…ヒイロ、」
何かちょっとじーんときて、デュオがヒイロを見つめた。
…そうこうしているうちに食堂の扉の前に着いた。
コンコン、と二度のノックの後、ヒイロがその重い扉を開いた。

食堂の中。
大きなテーブルには既に三人の男性が座っていた。
一人はここの当主で今横にいるヒイロの父親であるヒイロ・ユイ。
あとの二人、デュオとそう変わらない年格好の少年たちだ。
そして驚いたことに、その四人全員が同じ顔の造りをしているのだ。
(…ヒイロが四人……)
これが、デュオがこの家族を見ての第一印象だった。

「……ああ、思った通り良く似合うな、」
それを縫った張本人のヒイロが僅かに目を細めて笑む。
「…………ども…」
デュオは何と言っていいかわからなくて、それでも会釈した。
小さなヒイロに言われるまま大きなダイニングテーブルの一席へと腰かける。そしてヒイロがその横に座る。
あとの二人の少年はデュオの全身をじーっと検分しているようだった。
舐めるような視線が身体にまとわりついてくる。
デュオは気にしないようにきっと顔を上げ、当主の顔を見た。
「ああ、紹介しよう。弟たちだ。17歳と22歳。
 下の方はデュオと同い年になるな」
「初めまして、」
「よろしくな」
それぞれがにっこりと笑ってデュオに挨拶をした。
テーブルの下ですっと子ヒイロの手がデュオの手を握った。
それでようやくデュオは少し安心して笑みを見せた。
「…はい、よろしくお願いします」
デュオは自分が彼らに値踏みされたのだということに全く気付いていなかった。ある種おめでたい性格をしているのかもしれない。
しかし、見れば見るほど4人の顔立ちは似ている。
まるで1人の人間の成長過程がそのまま目前にあるようだ。
「……デュオ、この家は少々変わっていてな、私を含め男子の名は全て[ヒイロ]と名付けることになっている。
 それだけ了承していてもらいたい」
「は、はい。わかりました」
「…丁寧な言葉遣いは無用だと言っただろう?
 まあ、少しずつでも良いから慣れていってくれ」
4人がじっと自分を見ているのに気付いたデュオは顔を赤らめた。
気には入られたのだろうが、何だかとても気恥ずかしい。

それから見たことも食べたこともない料理が次々と運ばれてきたが、緊張していたデュオにはその味が全くわからなかった。



食事は早々に終わり、少々酒も入って結構いい気分になってデュオは部屋に帰ってきた。
チャイナ服を脱いでベッドの上に投げる。
シャワーを浴びようかとも思ったが、明日でいいやと思い返した。
「…………ふー…、疲れたー…」
終始笑みを顔に貼り付けていたので、頬や口元の筋肉が今になって引きつりだした。
4人から色んな質問攻めにあったが、何を聞かれたのだったろうか。
身内のこととか友人のこととか…過去の、こととか。
孤児院にいたことを面接時に言うのを忘れていた。
少々萎縮しながら話していたかもしれない。
けれどそのことを話してもヒイロ達は特に態度も表情も変えなかった。
気の毒そうな表情をされるのが一番嫌なのだ。
デュオは自分を不幸だと思ったことはあまりない。
物心ついたときには自分は既に孤児院にいた。
先生も仲間も、みんないい人ばかりだった。
下手な親や、もし身内がいて虐待される方がよっぽど不幸だろう。
暖かく清潔な衣類・寝床。飢えることのない生活。
中学を卒業し早々に院を出た。一人でも食い扶持を減らす為に。
そして。
あのとき子ヒイロには言わなかったが毎月送金をしている。
少しでも恩を返したかったのだ。
健康に、心豊かに育ててくれたあの人達に。

「……さて、明日っからお仕事だー…」
ごろん、と柔らかでふかふかのベッドでデュオは寝返りを打った。
高い天井。指先を組んで、目一杯伸びをする。
ふぁ、と欠伸をするとデュオはそのまま眠りに就いた。

どんな日々がデュオを待ち受けているのだろうか。








朝まだ早い時間にデュオは目覚めた。
部屋の窓からは薄く陽光が差し込んでいるが未だ昏い。
「……あぁー? …何でこんな早くにー…」
いつも枕元に置いている小さな時計を手探りで探そうとして、デュオは違和感に気付いた。
身体が埋もれるほど柔らかいベッド、そして枕。
ほんのりと室内に漂う甘い香り。…何かの、香だろうか。
ただ、甘い香りはほんの微かに香る程度で不快ではない。
むしろ心の不安が無くなるような、沁むような…花の、香り?
デュオはくん、と香りをかぐ。
意図的に香を取り入れようとすると逃げる。
どうしてかわからないがとても弱いものらしい。
「……しゃーねえ、風呂でも入るかな」
持ってきた荷物の中から着替えを取りだして…と思ったのに袋が見当たらない。
小物類が入った袋だけは辛うじてあるようだ。
「…何で…っ、」
きょろきょろと当たりを見回す。目に入ったのは大きなクロゼット。
デュオはクロゼットの扉を開ける。
「…………うわーーーー…」
第一声がそれ。
昨日着たチャイナ服と色違いのものがあったり、瑠璃が着ていたようなメイド服があったり、着物、…その他色々の衣類が掛かっている。
「……これを…着ろっつーのかオレに」
げんなり。
一応申し訳程度にTシャツやジーンズもあったりするが、中身は大概普通の生活で着るものじゃないだろ、というものばかりだ。
しかしこれか雇い人の希望であるなら着ねばなるまい。
一応仕事だしな、と割り切れる程度にはデュオの肝は据わっていた。
(………とりあえず、後で瑠璃に色々聞こう)
デュオはそれらのものを見なかった振りをして下着とTシャツ、ジーンズを持って風呂場に向かった。
(ああもう何だか、…何も考えたくねえ)
デュオはささっとシャワーを浴びると早々に服を着た。
そしてもう一度ベッドに寝転がった。



部屋の壁と同じクリーム色の天井を眺めていると眠くなってきた。
けれどそれを遮るようにコンコン、とノックが聞こえて。
デュオはゆっくりと身体を起こした。
「………はいー?」
「おはようございますデュオ様。瑠璃です、宜しいですか?」
「あ、いいぜ」
壁の時計を見ると6時半。
「失礼します、…あら、もうシャワーもお浴びになりましたのね」
「ん、早く目が覚めちまったからさ、…それ、オレが着るの?」
瑠璃の手に持たれている、瑠璃の着ている服と同じ色の、更に同じ服であろうそれをデュオは見た。
「目聡いですね、そうです。これは3番目のヒイロ様の御要望ですの」
3番目…というとデュオと同い年、17歳のヒイロか。
デュオは4人のヒイロの顔を思い浮かべてみるが、子ヒイロ以外はそう大差のない顔付きをしていたような気がする。
「……そーゆー趣味なのか? 3番目って」
「それを仰ったら皆さんそうですわ。
 デュオ様は旦那様方の【玩具】でいらっしゃるんですから」
「………………え??」
良く、聞こえなかったんだが。…おもちゃ、と言ったか?瑠璃は。
「さあさ、早くこれに着替えて3番目のヒイロ様を起こしに行って差し上げて下さいな、デュオ様」
ふふ、と瑠璃が笑った。楽しそうに。
「…それがオレの最初の仕事ってわけ?」
「ええ。それから小さなヒイロ様。このお二方は学校においでです。
 そして2番目のヒイロ様をお起こしして、それから旦那様を起こして差し上げて下さいませ。…そういいつかっております」
「………了解、」
するしかないだろうこの場合。
「3番目のヒイロ様と小さなヒイロ様が起きられたら朝食です。
 食堂の方へいらっしゃって下さい」
「あとの二人は?」
「2番目のヒイロ様は大学生でらっしゃるので午後でいいそうです。
 旦那様もそのくらいでいいと仰ってました。ですから昼食時ですね」
「……わかりやした…」
デュオはぐったりと項垂れて、それでも瑠璃の持ってきた服に袖を通し始めた。
「ふふっ、お似合いですわデュオ様」
「……嬉しくねぇよ」
デュオは仏頂面で突っ立っている。
瑠璃は笑いながらデュオに紙を一枚手渡した。
「これがこちらのお屋敷の簡易間取り図になります。
 旦那様方のお部屋と食堂とか普通のお部屋だけですけど」
広い。
広すぎる。
嫌だこんな広い家。
迷子になったらどうするんだ。
デュオはぶつぶつと口内で呟いている。
「………デュオ様? どうかしました?」
「……いんや何でも。…もらっていいの? これ」
「はい、デュオ様用にコピーしたものですから」
この間取り図によるとここの家族の私室は全て二階にあるようだ。
「3番目行って小ヒイロんとこ行って、…昼にあと二人、」
「はい、そうです。頑張って下さいね、デュオ様」
「…………あうぅ、」
にっこり。
瑠璃は笑ってデュオの背を押した。



コンコン。
ノックをして、声を掛ける。
「…おはようございます、…デュオです」
「鍵は開いている。…入って来ていいぞ、デュオ」
(………何だよ、起きてんなら起こしに来る必要ねーじゃん)
デュオは思うが、そういうものではない。
「……失礼します」
逆らうわけにもいかず、デュオはノブを回し、中に入った。



部屋の中は薄暗い。
けれど奥の方にベッドがあり、そこに人の気配を感じる。
デュオはそちらに向かってそろそろと歩き出した。
部屋は何の香りもしない。何も、というのは多少語弊があるか。
ただ、デュオの部屋よりも少し濃いあの甘い香りがする。
ここの家人の好みなのだろうか、嫌ではないが奇妙な感じだ。
「…デュオ、」
知らず香りに立ち止まってしまっていたらしい。
声のした方に目を向けるとベッド上に起き上がったヒイロがいた。
ヒイロの視線だけで傍に来させようとしているのがわかる。
人を使う立場の者は皆こんな無言の圧力を持っているのかもしれない。
ベッドの真横に立ったとき、ヒイロの手がデュオの腕に伸びた。
ぐい。
「……ぅ…わっ、」
デュオは腕を引かれるまま身体をベッドに倒した。
「何す…っ!」
そう文句を言おうと肘をついて顔を上げて。
上から傾いでくるヒイロの顔の作りの端正さに動きが止まる。
「…………っん…っ」
そのままヒイロの口付けを受ける。
いつの間にやらデュオの頭はヒイロの手に顎と頭の後ろとを固定され、キスを受ける体勢にされられていた。
デュオの頭の奥が痺れてくる。

キスをするのは初めてだ。

ヒイロが上手いのかどうかなんてわからない。
でも。
何も考えられなくなるキスとはこういうものなのかもしれない、と心のどこかでデュオは思った。


「………ん…、ふ…ぅっ…」
デュオの舌にヒイロのそれが触れ、わけもわからぬまま深い口付けを甘受する。
意識が朦朧として、腰に力が入らなくなってデュオはベッド横にぺたりとしゃがみ込んでしまった。
自然、唇が離される。
はあはあと荒い息を吐きながらヒイロの顔を睨み付ける。
視線があった瞬間、目前のヒイロは微笑んだ。
「…おはよう、デュオ」
……………まずい、オレはこの顔立ちに弱いのかもしれない。
「……オハヨウ、ございます」
怒りを削がれてしまい、ぼそぼそと小声で返事をする。
(…そうだ、オレは昨日からココで雇われてんだっけ)
そう思い出すのに結構時間が掛かってしまった。
デュオはヒイロにキスされても手放すことの無かった制服(しかし強く握ってしまっていたため指の跡が付いてしまった)を手渡した。
「着替えさせてはくれないのか?」
「……ぇ、っ…」
子供じゃあるまいし、そう言いかけてデュオは言葉を飲み込んだ。
(上流階級ってのは、そこまで異質なんだろうか)
よっぽど不審げな顔をしていたらしい。
ヒイロはそのデュオの様子を見てくすりと僅かに笑みを零した。
「…冗談だ、…本当に手伝ってくれてもいいが」
そう言いながらヒイロはベッドから降り、受け取った制服に着替え始めた。…どうやらヒイロの高校の制服はブレザーらしい。
立っているヒイロの身長はデュオよりも多少高い感じだ。
デュオは次に何をしていいのかわからなくなって、ヒイロから脱いだ服を奪うように受け取って次の子ヒイロのところへ向かおうとした。
「……じゃっ、これで失礼しますっ!」
逃げるように扉に近付いたデュオの背にヒイロの声が掛かった。
「…初めてだったか?」
「……………っ!!」
忘れていたのに。
ばたん、大きな音を立てて扉が閉まった。
「………うーっ、何なんだよイキナリ…ッ」
デュオは廊下をどすどす歩きながら子ヒイロの部屋へと急いだ。
「…………何が…『初めてだったか?』だよそーだよ悪ィかよっ…」
ムカムカしつつも子ヒイロの部屋の前では立ち止まり息を整える。
動揺している姿を何故だか見せたくないと思ってしまった。
この屋敷の中ではあのヒイロが一番気を許せるのだ。
ふぅ、と一度深呼吸をしてから部屋の扉をノックした。
コンコン。
「……デュオ?」
「うんそう、入って良いか?」
「ああ、着替えを持ってきてくれたんだろう?」
了承を得て、デュオが中に入り込む。
この部屋の甘い香りはさっきのヒイロの部屋より薄い。
先刻は急いでいたのと驚きがあったのも手伝って部屋の中を見る余裕などなかったのが、このヒイロの部屋は気を楽にいられるのでデュオはぐるりと室内を見回した。
子供らしい玩具が少ない、整頓された部屋だ。
「…デュオ? どうかしたか?」
「いや、何か子供らしくない部屋だなと思ってさ。
 …ほら、これ着替え。手伝うか?」
「いい、一人で着れる」
デュオはヒイロの様子を微笑ましく見守っている。
金持ち学校らしいお坊ちゃんお坊ちゃんした制服だ。
よく見ると3番目ヒイロのものと形が似ている。
「な、オマエが行ってんのって3番目のと同じ系列なのか?」
「そうだ。エスカレーター式だからな」
子ヒイロはブレザーの上着、そして同じ生地で出来た半ズボンを履く。
「そういうカッコすると可愛いな、オマエも」
「………デュオ、おまえも似合っているぞその格好。…瑠璃か?」
「…制服、なんじゃねえの?」
「……………、」
ヒイロはデュオの顔を見て、それからわざとらしく息を吐いた。
「…何だよオマエー、」
「いい、何でもない。それよりデュオ、何かあったのか?」
「……何かって?」
「昨日と何だか様子が違う。具合でも悪いのか」
「…んにゃ、何も、ねぇよ」
デュオはふいと視線を外す。これにヒイロが気付かないはずがない。
「さっき制服の話をしたな、ここに来る前にあいつのところに行ったのか? …何かされたのか?」
「…何って…、何もされてねぇよ」
ヒイロの目をまともに見れない。
これでは何かあったのだと自分から白状しているようなものだ。
「デュオ、」
ヒイロは伸び上がってデュオの両頬を手で挟み、自分の方に顔を向けさせた。
「………んだよっ、ちょっとキスされちまっただけだよ!
 …何でもねぇだろ……そんくらいさ…」
触れられた頬が熱い。赤くなっているに違いない。
「……デュオ、しゃがんでくれるか?」
「…え?」
ヒイロに言われるままデュオは絨毯の上に膝を付いた。
そしてヒイロに肩を押さえつけられぺたんと尻まで付いてしまう。
こうすると当たり前だがヒイロの方が背が高くなる。
デュオはヒイロを見上げるような形で顔を上げた。
ゆっくりとヒイロの顔が近付いてくる。
キスをされるのだと、そう頭の中でわかっているのに避けようという気にはならなかった。
視線が合わないようにデュオは瞳を閉じた。
どこかぎこちないような、触れるだけのキスで。
気付いたときにはヒイロの唇は離れていた。
「………消毒だ」
照れているのか、くるりと後ろを向いたヒイロが小声で言った。
デュオはそんなヒイロがいじらしくて、軽い調子で立ち上がりぽんぽんと頭をはたいてやる。
「…ばーっか、オマエこれであいつと間接キスじゃんか」
「………仕方、ないだろう」
「でも、サンキュな」
デュオはヒイロの前に回り込んでその頬にちゅ、と唇を触れさせた。
「おまけ、…オレからしたのはオマエが最初ってことで」
途端ヒイロの顔が赤くなる。
子供の負けず嫌いなのかそれとも純粋な好意なのか。
どちらでもいい、デュオはこのヒイロが可愛いと思ってしまった。
「ヒイロ、着替えた服寄越しな。持ってくから」
ヒイロはベッドの上に脱いだパジャマの上下をデュオに手渡した。
「…えっと、そーいやドコにコレ持ってけばいいのか瑠璃に聞き忘れたかも」
へへっ、とデュオが悪びれもなくヒイロに告げた。
「しょうがないな、連れていってやる」
「ありがとなヒイロー、その後は朝食だって聞いたんだけどさ」
「追々覚えていけばいいだろう。どうせ長く勤めることになるんだから」
「何、それはオマエの希望も入ってんの?」
デュオはヒイロの部屋のドアを開けながら振り返り、嬉しそうに言った。
「…当たり前だ」
「……ふふー、かーわいいな、オマエ」
二人並んで話しながら廊下を歩き、階段を下りる。
「人間正直が一番だ。…でないと大切なものがなくなって悔やむことになる」
「…何か過去にあった?」
「また、そのうちに話してやる。…ほら、あそこが洗濯場だ」
見ると、少々年のいった、けれど優しそうな中年の女性がそこにいた。
女性はデュオから二人分の洗濯物を受け取って、
「ご苦労様」
そう言ってにこやかに微笑んだ。
デュオは何だか胸の奥が温かくなるような気がした。
どうやら年輩の女性には無条件で弱いらしい。

それからヒイロとデュオの二人は食堂の方に向かった。
食堂のドアを開けると、そこには3番目ヒイロが既にいて朝食を摂っていた。
そしてデュオを見て口元だけで僅かに笑んだ。
デュオは複雑な心境になる。………やっぱりこの手の顔は好みらしい。
子ヒイロがデュオの服をきゅ、と引っ張った。
は、と気付き珈琲カップの置いてある二つの席に子ヒイロと並んで座った。
当然間に子ヒイロを挟む形でデュオは3番目と離れて。
ヒイロらしい気遣いかも、と思いながら、何故こんなにも子ヒイロのことを理解してしまっているような気持ちになるのか不思議だった。

朝食はホットサンドにオレンジジュース(珈琲でも可)、それにスクランブルエッグと野菜サラダが付いていた。
食べ終わるとヒイロ達は一旦自室に戻り、鞄を持ってまた階段を降りてくる。
どうやら徒歩通学しているらしく、玄関そして門を出ていく二人をデュオは手を振ってお見送りをした。
二人の姿が見えなくなったので屋敷の中に戻ろうとしたデュオが振り返った。
「デュオ様」
「…………………瑠璃、真後ろに立ってないでくんない?
 寿命が縮んだらどーしてくれんだよ」
驚いた。ほんっとーに驚いた。全然気付かなかった。
「ふふ、ごめんなさい。…どうでした? 初仕事は」
「……あれをオレの初仕事と言うか…あ、そうだ瑠璃仕事のことなんだけど」
「はい、」
「イロイロ教えてもらうの忘れてたんだけど…」
「いいんですよデュオ様はそんなに覚えられなくても」
「…へ?」
「デュオ様は旦那様方のお世話をなさるだけでいいんです」
「…だって今朝さ、洗濯場すらわかんなかったんだけど」
「間取り図お渡ししたでしょ?」
「………………あ、」
忘れていた。
3番目ヒイロに奪われた初ちゅーがそんなにショックだったのだろうか。
「暫くお部屋で休んでらしていいですよ。瑠璃がまた呼びに行きますから」
確かに少々頭を休めたいかもしれない。
そうだ、間取り図も覚えなくては。
「………うんわかった、」
デュオは疲れた様子で自分にあてがわれた部屋へと戻った。

寝てしまわないように今度はベッドでなくソファに深く沈み込んだ。
柔らかくて気持ちがいい。………気を付けよう。
「………んー、」
ヒイロ達の部屋の場所はさっき覚えたのでそれ以外を。
食堂はともかく、隣接した台所とそれから洗濯場、応接間に書斎、トイレやバスはそれぞれの部屋に付いているのか表示はない。
ただ、大浴場があったりする。
「……………何だかなー、」
そしてデュオが間取り図をすっかり頭の中に入れて自室の探索をしているところに、瑠璃が時間だと告げに来た。
…さあ、第2ラウンドだ。



デュオは残る二人のヒイロに負けないように自分に気合いを入れた。
「………うし!」
牛。…ああ、いやいや。「うりゃ!」の方が良かっただろうか。
瑠璃はドアの外からデュオに声を掛けただけで行ってしまったようだ。
彼女は彼女で忙しいのだろう。
デュオは特に気にせず部屋を出、2番目ヒイロの部屋へと向かう。
朝見送りに出たときから思っていたが、今日はいい天気だ。
陽光の差し込む廊下を歩きながらふとそんなことを思い出す。
…ほどなく、2番目ヒイロの部屋に辿り着いた。

コンコン。
音の拡散する時間帯なので心持ち大きな音が立つようにノックする。
「………もしもーしっ、オハヨウゴザイマスー」
返事がない。まだ寝ているのだろうか。
いやそんなはずはない、今はもうお天道さまも真上に登っている時間だ。
いくら昼からの授業といったって…。
デュオは逡巡する。
けれど考えていたって仕方がない、[起こす]ことがデュオの仕事なのだ。
幸いか当然か部屋の鍵は開いていて、デュオは恐る恐るドアを開けて中を覗き込んだ。
思った通り甘い匂いは3番目ヒイロの部屋のものより濃い。
しかしそれと混ざるように酒の匂いがする。
その匂いの元凶というか原因は部屋のソファにすっかりと沈み込んで、僅かな寝息を立てながら熟睡していた。
足下には何本かのワイン瓶、ウイスキーのボトルが転がっている。
22歳と言ったか確か。なるほど3番目ヒイロよりは少し大人びている。
デュオは中に入り込んでとことことヒイロに近付いた。
戸口から大声で呼んで起こすという横着をするわけにはいかないだろう。
近付くにつれ強いアルコール臭が鼻につく。
よっぽど深く酔って寝ているのだろう、ぴくりとも動かない。
デュオはまずヒイロの傍で声を掛けた。
「…おはようございます」
起きない。今度は少し大きな声で。
「おはようございます」
起きない。仕方がない。
デュオはヒイロの肩をぽんぽんと叩いた。
「………ヒイロ?」
名を呼んだ。
するとその声に反応したかのように、デュオはソファに座ったままのヒイロに思い切りぎゅうっと抱き締められた。



「……あああああのあのあのあのっっ!」
デュオは動揺する。
早速ヒイロはデュオの背の下の方で縛ってあるエプロンの結び目を外した。
デュオはヒイロと自分の身体の間に腕が入らないので背中に回した手でヒイロの上着を引っ張り、引き剥がそうとする。
ヒイロはその制止に動きを止める様子はなく、左の手を太股部分に触れさせ、右手は器用に背中のジッパーをジャッと下ろし肩から綺麗にするりと剥いてしまった。
あまりのことにデュオは声が出ない。
ぞわぞわぞわ。
デュオの背筋を何とも言えない感覚が通り過ぎる。
悪寒のようで、それでいて今まで感じたことのない様な奇妙な感覚。
ヒイロの左手はさわさわとデュオの腿を撫でてから尻の方に移動し、パンツの中に指から入り込む。
右手はというとデュオの肩胛骨あたりをまさぐって一瞬止まり、それから前の方に移動した。そしてアンダーシャツを捲り上げ胸に顔を埋め…ようとしたらしい。
「………??」
ヒイロが不思議そうに思ったらしいことが気配で伝わる。
胸の膨らみがないのを不審に思ったのかどうなのか、けれどもそのまま胸の飾りを口に含んだ。
滑る感触がデュオの突起を嘗め、緩く噛んだところでデュオが正気に戻る。
「−−−−−っっつ!」
身動けなくなっていたデュオが、漸くヒイロを突き飛ばした。
「っ、ヒイロッ!!」
左手はまだデュオのパンツの中で尻にぺたりと張り付いている。
何とか服を肩まで元に戻し、まだ意識のはっきりしていないヒイロの頬をべちんと一発叩いた。
「…おはようございます、ヒイロ。いいお目覚めですか?」
デュオが嫌みたっぷりの言葉と共ににぃっこりと笑い掛ける。
勿論その口元や眉間には隠そうともしない皺が寄っている。
ヒイロは数度瞬きしてそれから笑い出した。
「……な、何だよ…」
デュオが困惑げにヒイロを見る。…打ち所が悪かったんだろうか。
ひとしきり笑った後、ヒイロはまだデュオのパンツの中にある左手で片尻を揉み揉みする。
「…ひゃっっ!」
デュオが慌ててその手を外させようとするが、ぎゅうっと力を込められてしまえばそれも叶わない。
「ってぇ…」
「…良い尻をしているな」
ヒイロはそれだけ言うともう一度今度は優しく尻を撫でた。
「……それって褒め言葉? ぜんっぜん嬉しくねぇんだけど」
棘を含みまくった声がヒイロに届いても彼は全く動じない。
それどころか面白い動物でも見ているような目でデュオをじっと見ている。
しばらくじーっと見つめられたままで居心地が悪くなったデュオは、先程無駄だった試みをもう一度試してみる。
自分の尻からヒイロの左手を引き剥がす行為をだ。
取り敢えず後ろに回した手で手首を掴んで引っ張ってみる。
しかしまるで吸盤でもついているかのようにヒイロの左手は微塵も動かない。
苛ついて爪を立てると、また強く揉まれてしまった。
「……うーっ」
きっ、とデュオがヒイロを睨んだところでヒイロはぼそりと言った。
「…デュオ、といったか名前は」
「あぁ? そーだよデュオだよ、いー加減離せよなこの変態!」
どう聞いても雇い主相手の台詞には聞こえない。
「面白いな、今までいなかったタイプだ。
 あいつらが選んだだけはある、ということか」
そう言ってヒイロは魅惑的な笑みを浮かべる。
デュオはぞくりとした。
「女でないなら参加するつもりはなかったんだが…。
 デュオ、おまえを落としてよがらせてみるのも楽しそうだな」
「…なななな何言って…!」
「こんなに反応が面白い生き物は初めてだ。
 決めた、俺もやはり参戦しよう」
「………参戦?」
何だか今、とても不穏な単語を聞いてしまったような気がする。
「…初物がもらえないのは仕方がない。
 だが俺が後から色々と教育してやるから楽しみにしているといい」
「………………き、教育??」
何を、何のことを言っているのだろう。
デュオは瑠璃が言った台詞を唐突に思い出した。
『デュオ様は玩具でいらっしゃいますから』
玩具…玩具って…もしかして……………。
考えたくないことが急にまざまざと脳裏に浮かんでくる。
ヒイロは動きの止まったデュオにこれ幸いと尻をまた撫でた。
べしっ。
デュオは無意識にその手を叩き落とすと、さっきのどさくさで落としたヒイロの着替えを渡し、さっさと着替えをさせると無言で部屋を出た。
4人目最後の、当主ヒイロに正しく説明を聞かなければいけない。
…その時デュオはまだヒイロ父には何の危険も抱いていなかったのだった。
デュオは何だかぐるぐるしている思考を持て余しつつ、それでも当主のヒイロの部屋へと向かった。
コンコンコン。
少々手荒なノック音になってしまう。デュオの気が立っている所為だ。
「……デュオ? 入っていいぞ」
僅かの後その返答があって、デュオは何度か深呼吸をしてからドアを開けた。
一段と甘い匂いがする。
とても濃くてまるでまとわりつくようなのに…嫌でないのは何故だろう。
「…失礼します。着替えは…必要なかったですか?」
見るとヒイロはちゃんとした服装をしてソファに座り、読書でもしていたようだった。
「いや、折角だからもらっておこうか。そのテーブルの上に置いてくれ」
デュオは言われるまま着替えを置いた。
「…何か言いたそうな顔をしているな、…座りなさい」
「…………はい、」
カッカしながら部屋に来たものの、ヒイロの落ち着き払った様子にデュオは毒気を抜かれてしまった。
ヒイロは部屋の内線の受話器を取り、飲み物を二つ頼んだ。
間もなく瑠璃がいい香りのする珈琲の入ったカップを持ってくる。
そしてそれをテーブルの上に置いてさっさと退室していった。
ヒイロはデュオと向かい合って座り、珈琲を一口啜る。
「…口に合わないか?」
「い、いいえ…いただきますっ」
デュオはカップを両手で持ち、恐る恐る一口含んだ。
「あ……美味い」
「それは良かった。…それで何の話だったんだ?」
改まって聞かれるとデュオは困ってしまう。
自分の考えは憶測の領域を出ない馬鹿げたものだ。
「…仕事が嫌になってしまったか?」
「あ、えっと、…そういうことじゃ…」
言葉に詰まってしまい、代わりに珈琲をがぶがぶと飲んでしまう。
デュオにでもわかる、これはとても良い豆を使って上手に挽いてある。
「それならいいが。…あの子がこんなに人に懐くのは初めてでね」
父親らしい台詞を聞いて、デュオは自分が恥ずかしくなってきてしまった。
何て下世話な事を考えてしまったのだろう、と。
(考えてもみろ、…オレは男じゃないか)
男の身で慰み者にされるなんていう考えは、どうも考えすぎだった、と。
それでデュオは少し落ち着いて目前のヒイロを見た。
視線が合って、つい俯いてしまう。
「どうした? デュオ」
低く響く声が耳に心地よい。
(………あれ…?)
「……デュオ、」
ヒイロの声が遠くなる。
どうしてだろ…う。

柔らかなソファに沈み込みながら、デュオの意識は遠くなっていった。



「……ここまで初歩的な手に引っかかるとは…本当に可愛いな」
口元に仄かな笑みを浮かべたヒイロは、ソファで眠り込んだデュオの身体をそっと抱き上げた。
珈琲に仕込んだ薬は即効性のもので、その効果は高いけれど持続時間は短い。
実際眠ったままでは反応が少なく面白くないので早く目覚めるに越したことはない。
ヒイロはデュオをベッドの上に静かに横たえ、サイドテーブルの引き出しの中から注射器とアンプルを取り出した。
アンプルをぺきりと折り中の薬品を吸い上げデュオの左腕に注射する。
「…………ん……、」
デュオはほんの少し身じろいだが流石にまだ起きる気配はない。
ヒイロは後ろに回した手でエプロンのリボンを外して、腰の下に手を差し入れジッパーを端まで下ろすと、ゆっくりとデュオの服を肩口から脱がせ始めた。
デュオのあまり日に焼けていない滑らかな肌が次第に露わになっていく。
ヒイロはデュオのアンダーシャツを脱がせたところで乳首に微かな噛み痕があるのに気が付いた。
「……これは、…そうかあいつだな…」
すぐ下の弟の仕業だと即座に解る。
どうせまた寝ぼけてでもいたのだろう、参戦しないと言っていたがこの調子ではそれも怪しい。
「まあ、構わないがな…愛すべき共有財産だ」
そう呟いてからヒイロはその跡の付いた方の乳首を嘗めてやる。
「………ぅ…、」
ぴくりと跳ねた身体がデュオの感度の良さを如実に表している。
そしてヒイロは今度は腰から下の部分をを脱がせにかかった。
デュオが今着ているのは一続きの、所謂ワンピースタイプのメイド服だ。
片腕でデュオの身体を支え、もう片腕で裾を持ってするりと脚から剥ぎ取る。
これでデュオが身に付けているものはパンツだけになった。
白地に青のストライプのトランクスだ。
デュオの下着をどんなものと想像していたのかは知らないが、ヒイロはくすりと笑って、それから最後の一枚になったそのトランクスも脱がせてしまった。
そしてデュオはすっかり剥かれて全裸になった。
空調がきいているため寒くはないだろうが、身の心許なさからかもしくは意識が覚醒しようとしているのか、デュオはぶるりと身体を奮わせた。







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